高時地区地域づくり協議会

石田三成ゆかりの地

石田三成は現長浜市石田町に生まれました。

安土桃山時代豊臣秀吉に仕え、武将・大名となり佐和山城主となりました。

三成の母の実家は古橋村(現木之本町古橋)あるいは杉野村(現木之本町杉野)と言われています。

ここで、石田三成のゆかりの史跡をご紹介いたします。

法華寺(ほっけじ)

三成母の故郷とされ、三成が少年期を過ごし豊臣秀吉に召し抱えられるきっかけで有名な「三献の茶」の舞台となったとされるお寺。

〜三献の茶のおはなし〜

ある日、秀吉は鷹狩りに出て喉が渇いたので、観音寺に立ち寄って茶を所望した。寺の童子が大きい茶碗に、ぬるい茶を八分目ほどたてて持ってきた。秀吉はこれを飲んで、「うまい、もう一服」と所望した。童子は、今度はもう少し熱い茶を茶碗に半分足らずたててきた。秀吉は「さては」と思い、試しにもう一服頼んでみた。すると童子は小さい茶碗に熱い茶を点てて持ってきた。秀吉はこの童子の気働きに感じ入って、長浜に連れ帰り小姓とした。

この童子が、後に五奉行の一人となる石田三成である。

長浜観光協会ページ:法華寺跡の詳細

大蛇(オトチ)の岩窟

関ヶ原の合戦に敗れた三成が古橋村に落ちのび、村人にかくまわれたという洞穴。

古橋の己高閣・世代閣から3kmほど行ったところに、「大蛇の洞穴」という緑色の看板が立っています。ここから山道に入り、昔の石灰焼き場の跡などを通り、40分ほど登ると大蛇の岩窟です。

長浜観光協会ページ:オトチの岩窟詳細

己高閣(ここうかく )

昭和38年に建てられた滋賀県最初の文化財収蔵庫で、三成の母のお墓があります。

鶏足寺の十一面観音さまもここに収められています。

隣接する世代閣(よしろかく)は、平成元年秋に開館され薬師如来立像をはじめ多くの仏像仏画や古文書類が収納されています。

長浜観光協会ページ:己高閣・世代閣詳細

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